2025年01月17日

選ばれない経験

20250116.jpg先日、「変な家」を買った時、娘がホラー小説を読んでみたいと言い出したので、初心者向き(?)とかいうことで紹介されていた学園ホラー。

有名らしい。

案の定「変な家」が物足りなかった娘は、この本を怒涛のように読んでいた。

どうだったの?

「描写が怖い。人が死ぬところの描写が森鴎外っぽい。」

ほんとかよ。
とにかく課題図書に指定されたので読むことにしました。

さて、この週末のコンクールだか何だかに人数制限があって
詳しくは聞いていないがたぶん女子で一人だけ部内オーディションに落ちたらしい。

音楽初心者の娘は上手いわけじゃないだろうし、誰かを選ばなければならないのであれば、
兼部の人は落とすよな、と私は思ったが、
合唱部をより愛している娘にとっては辛いことであろうと思います。
ただ、そういうちょっぴり辛いことを時々は経験しておくのはとても意味があると思うの。

これは要するにチームスポーツでもよくある、試合に出るレギュラーメンバーから漏れた状態。
チームスポーツであれば万年補欠だけれど粛々と練習をする人も居るではないですか。

そういえば中1の時、じゃんけんで卓球の試合に出られなかったことがあって
家で号泣していて予約を入れていた歯医者さんに行けなかったことがあったなぁ。
3年しか経っていないけど、あの頃から比べたら本当に大人になったんだと思いました。

その後、先輩を押しのけて先輩の最後の大会に出させてもらったこともあったはず。
人の気持ちがわかるには、自分だけが選ばれない経験もたまには必要だと思う。

しかも偶然喉風邪もひいたので、コンクールを控えているみんなにうつすといけないと
珍しく1週間卓球部の練習に出ていた。風邪ひいたから運動部ってどういうこと?

そんな時でも兼部をしていれば紛らわせることが出来るのか…。ありですね。
まあ兼部のせいでどっちも中途半端といえばそうなんだろうけど、
楽しくやれていればそれ以上のことを親が求める必要はないとも思う。

コンクールまで余分な声になってしまうからみんなと練習できないわけで、
そんな時に卓球の方に出るのは合理的。

練習できるならいいけど、出来ないのに合唱部に行っても仕方がないし、
自分が落ちたことも考えなくて済むから気持ちの処方箋としては有効だと思う。

属するコミュニティを一つだけにしない、というのは前々から彼女に対して私が徹底してきたことなのでした、そう言えば。
まさか兼部するとは思っていなかったけど、娘としてはごく自然なことなのかもしれない。

週末、出ないコンクールに行くらしく、
例によってコンクール前の練習に何時集合、とのことだ。

どうせ練習に参加できないんだから、もう社長出勤して移動からでいいんじゃないの?

「都合よく風邪引いて部活に行っていないんだから、拗ねていると思われているよ。だから明日は最初から行く。」

合理的な行動として卓球部に出ていると説明すればよいのに。
そのこと自体が拗ねていると思われるのか?

みんな若くて仲間に対して思いやり深い時期だろう。いろいろ割り切れないだろうから、
心配する人は確実に居そう。難しいのだろうね。

ちゃんと誤解を解いてね。
ラベル:高校生活
posted by さと at 21:00| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 高校合唱 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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