さて、娘の文国(文学国語)の先生が長期おやすみとなり、代わりの先生がいらしたそうです。
ちなみに、私の頃は現国と古文・漢文の2科目だったと記憶しているのだけど、
現在では国語は↓だいぶ細分化されている様子。
2年生は文学国語と古文探求をするようですね。
ちなみに、今までの先生は若くて美しく、美しい人を賞賛する生徒たちは
国語の時間は目の保養、と思っていた節があったのだそうです。
しかし、新しい先生が最初に来たクラスの子が言うには、
「オジサンの嫌なところを全部詰め合わせたような先生だ。」
と憤慨していたので、娘、戦々恐々でその日をお迎えしたそうです。
「ハ●ワシ。でも飛べなさそう。」←デブで禿って意味だと思う。若い子は残酷だ。
最初の授業では70分中、65分が先生の自己紹介で、さらに気まぐれにそれについて感想文を書いてくるように! という宿題が出たそう。
他クラスでよよと泣き崩れ、同情と失笑を買ったそうです。
そして週末を挟んで月曜に登校しようとして考える娘。
「こまったなぁ。作文の期限はいつまでだったんだろう。ひょっとして今日までかなぁ。」
↑週末忙しすぎて宿題どころではない人。
で、しばらくたってから、
そういえば文国の先生はその後、どうなの?
「うん。次の授業でね…」
何等かの対話があった末に、「お前たちは教養がなさすぎる。これから図書室に行くので皆1冊借りるように。」
というお達しが出て、図書館に行ってそれぞれ本を借りたそう。娘は東洋哲学の本を借りたそうです。
これからは授業の最初の5分は本を読む。
先生、まともやん。本質が分かっている。
「そうなのよ。私、あの先生(飛べないハ●ワシ)がけっこう好きみたい。」
世の中にはしたり顔で、本を読んでも成績には関係ないとわざわざグラフで説明する先生が居るけれど、
数字で何でも測れるわけではありません。その人の内側に広がる見えない宇宙は教養が決める。
経験はもちろん大切だけれど、ある程度の読書量に裏打ちされると思うの。
分からない人は分からなくていいけど、分かる人には分かってしまうと思う。
コミュ力とかも大事なんだろうけど、チャンスを拾える人は、分かる人に分かってもらえる人だと思う。
5分は少ないと思うかもしれないけど、とにかく5分本を読めば、続きは読みたくなるのです。それなりの素地のある子であれば。
本当にいい先生というのは、若い子たちの内側を耕すことを促せる先生だと思う。人生へのインパクトが違うのです。
積読だけではなかなか読めなかった
哲学の書をまた毎日寝る前に読み始めた娘。
早く寝なさいよ。
だけど、またよい人に出会ったのだと思うと、母は嬉しい。
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